広島×大邱(韓国)ギャラリーエクスチェンジ企画
Hiroshima×Daegu gallery exchange project
ビョン・ミヨン 변 미 영 遊山水展
現代的感覚で自然哲学を表現する大邱在住画家、 ビョン・ミヨンの展覧会
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Byun, Mi-Young / 卞 美 映
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(以下は現地の新聞での作家紹介です。)
『山水画で描いた武陵桃源』
山水画を通じて自然を楽しむ思索を現代的感覚で解いた作家ビョン・ミヨン
この作家の作品を貫くテーマは「山水」だ。これは、彼女が東洋画を専攻した影響もあるが、根本的な理由は老荘思想が好きだからだ。「樂山水」で始めた彼女の山水紀行は「休山水」、「花山水」を経て、今は「遊山水」の世界にとどまっている。山と花で代弁される彼女の作品は自然を友とし自由で悠々自適な生活を楽しみたい作家の心が投影されている。
この作家にとって山水は審美の対象であると同時に崇拝の対象だ。人間にとって自然は美しさを感じる対象であり、畏敬の念を感じる存在である。
また、彼女の山水には哲学が組み込まれている。いわゆる老荘思想で代弁される自然哲学だ。 森羅のすべての生命体が自然と調和をなしてともに生きる姿は作家ビョン・ミヨンが絵を通じて追求する桃源郷である。そのために、彼女は東洋の自然観と民話の造形性を融合し、従来の山水画では垣間見ることができないような差別化された世界を作り出した。特に民衆たちの願いが盛り込まれた民話を借用したイメージは、自然を渇望する現代人の念願を反映して、現代人と自然とを繋ぐ役割をしている。
作家がキャンバスの上で山水を解決する方式は独特だ。彼女は新しい作業を渇望する木版の技法や西洋画を融合させた彼女だけの独特な作品の方式を作り出した。彼女は合板の上にアクリル絵の具で15回以上、様々な色をした後に彫刻刀で掻き出し、ドローイングをする。無心にする行為の一種である「掻き出すこと」を通じて絵を描く。しかし、作業はここで終わっていない。画面の上にアクリル絵の具を再び塗って拭いを数十回繰り返す。伝統彩色方法からインスピレーションを受けたこのような作業方式は作品に深く感を増している要素として作用する。作品に現れた赤い色は単純な赤い色ではない。スペクトルのように青い色、黄色などを抱いている赤色は微妙な感じが漂う。また、色が視覚的に分散する現象は、観覧客たちの想像を誘導し、超現実的な世界へ導いてくれる。
作家がテーマとするのは、産業化・都市化のなかで現代人たちは自然と遠ざかり、ついに自然をなくした生を生きているということを傍証している。自然をなくしたのは単に山水を楽しむことができないというレベルではなく、情緒の喪失を意味する。作家が山水を描く理由は明らかだ。まさに、自然を失った現代人に絵を通じてでも自然を返したいのだ。
これに対して、作家は”私が作品を通じて示そうとする武陵桃源は、生活から逃避する場所ではなく、現実と理想を行き来しながら、悲痛な現実を救済する空間だ。夢は現実と和合した時、最も強い生命力を発揮する。”と説明した。
荘子は人生を遠足 (ピクニック)に喩えた。 荘子哲学が志向する‘逍遙遊 ソヨユ ‘(遠くに遠足に行って泳ぐ)は、人生の目的は何なのかを問う、また他の表現だ。 荘子は”人生はそれ自体が目的であるため、人生という旅行を楽しめ”と話す。このような観点から見て作家ビョンミヨンは自分の作品を通じて、長子のソヨユを実践したといってよい。 彼女は山水で安らぎ(休)と楽しみ(樂)、美しさ(花)、自由な散策(遊)を発見し、これを芸術に昇華させているのだ。
この作家は絵を通じて、現実逃避ではなく、痛い現実を積極的に受け入れ、桃源郷を作っていこうという。 作家が提示する道の終わりにはヒーリングの世界が定着している。長子祭物論には(道行之而成)という言葉が出ている。道は歩いているところで完成されるという意味で道は私たちが作って行くことを強調している。